桜の季節、降りしきる花の下で行った、新年度初の読書会のテーマは出逢いと別れ。
参加は子ども、パパママ、おばあちゃんと50人ほど。
本の会では沢山の子どもたちが卒園と入学を迎えたり、私個人としては祖母の他界があったり、
人と人との巡りあわせの不思議さをしみじみと感じていた今日この頃、テーマは自然出逢いと別れになりました。
肉親を亡くした中原中也が古今和歌集の
「ひさかたのひかりのどけき春の日にしずこころなく花のちるらむ」を口ずさんでいたように、
梶井基次郎が桜の下には死体が眠っていると書いたように、
日本文学でも桜は、爛漫の眩さと伴に、死や別れを内包したモチーフでした。
最初は幸田文さんの短編『髪』。継母との死別を描いた作品です。
祖母や母を持ち、子供を産み育てている今の私たちだからこそ、命を繋げる
女として語りあってみたいことがありました。
母親の針さしに詰まった無数の髪をほどきながら、幸田さんは継母との確執や愛情をほどいてゆきます。
女性ならではの血肉が通った、皮膚に、その髪の感触を感じるような幸田さんの文章は、
愛憎や口惜しさや様々な感情を描きながらも、さっぱりとした着物の質感を感じさせる読後感を残します。
みんなで交代に朗読した後、感想や、自分に引き寄せた想いを語り合いました。
いつものことながら、文学は底知れない力を持っています。
みなそれぞれ沢山の想いや、超えてきた苦しみが引き出されました。
そして感じたのは、今みんな桜の下で笑えているということの
しみじみとしたありがたさでした。
誰の人生にも計り知れない悲しみがあり、暗いトンネルがある、
それを一人一人孤独の中通り抜け、今、光の下笑えている、
そのことの不思議な感動でした。
さて、次のお題はお待ちかね、笹井宏之さんの『てんとろり』
笹井さんは26歳で急逝された佐賀の現代短歌の歌人です。
シュールで不思議で、そしてものすごく丁寧な短歌。時に柔らかに自然を詠う笹井さんですが、
その奥に他の誰でもない笹井さん独自のアートをやるという、はっきりとした自覚がある。
世界との違和を引き受ける覚悟を感じる笹井さんの短歌は、
それゆえにどこまでもニュートラルで、
読み手の魂を、本来の姿に戻す力があります。
最初、夜中に一人で読んだとき、この人の凄さを誰かに伝えたくて叫びたくなるような胸の高鳴りを感じ、
療養の中短歌を作り続け、若くして亡くなった笹井さんの和歌が本として残ってることの奇跡を思いました。
彼の短歌も終わりの方になると死を予感させる寂しさを感じます。
哀悼の意を表して、笹井さんの産んだ言葉たちを、春の空に溶かしたい、
そういう想いで、みなで順々に笹井さんの短歌を声に出して詠みました。
降りしきる雪にような花びらの中、笹井さんの言葉たちは空に解かれていったかなあ、、。
さて、最後は卒園の子どもたちに花束贈呈式です。
お母さんからの一言には、それぞれの親子の過ごした日々の想いがいっぱい
詰まって、ほろりとなるシーンでした。
新しい春の始まりに似合う絵本も読もうと準備していたのですが、遊びたい子どもたち
は早くも遊具へ、、。なのでここでだけ紹介。この三冊どれも本当にお勧めです。
でも遊ぶのも大事!この読書会、子供たちが遊ぶ顔が本当にいい顔で、
懐かしくて眩しい映画のワンシーンを見ているような気持にいつもなります。
そしてまた、今日の読書会では、夢や抱負を書いた紙を折って紙飛行機を飛ばそうと
いう、子供たちの門出を祝う企画もしていました。
金立公園の山の上の草スキー場からは佐賀の風景が一望できます。
広い空いっぱいに飛ぶ紙飛行機のように、子供たちの新しい日々がいいものでありますように。
そして子ども達が、いつか辛いことにつき当たっても、
こうして過ごしている時間をいつか思い出して、
生きる糧となりますように。
みんな君たちのことを心から愛しているよ。
君たちの人生が幸福であることを心から祈ってるよ。